よりよき社会を目指すあり方って何なのでしょうか? 

全く知らない小説なのですが、死生観を扱ったある恋愛小説(『日だまりの彼女』越谷オサム著)が
去年までで、17万部売れたそうです。

しかし2007年初版時は5千部程度の売り上げだったそうです。佐藤優という方が、その理由は、
あの東北巨大地震にあると論じています:  http://www.youtube.com/watch?v=LSeFKIAG_sc&feature=related 

死んだらどうなるのか、生きることはどういうことか、人々が向き合い始めているのかもしれません。

この夏、話題の映画は何なのでしょう?

昨年までは迫力満点の立体3D映画を配給会社は売りつけようとしていました。
しかし邦画で今年発表されたのは4作品のみ。

3・11以降、人々は人間ドラマを見たいのだと7月22日の東京新聞は報じました。

2007年に他界された。西尾誉佳さんという方が、骨肉腫で右腕を治療のため切断し
残された左手で、「たった一つの命だから」の文字を残し、それに続くメッセージを
人々が思い思いにメッセージを寄せました。
様々な人が書いたこのメッセージの朗読会が8月18日(土)武蔵野スイングホールで
開かれようとしています: http://www.eika.or.jp/reading/plan-120818.html

この傾向がどの程度か、いつまで続くのかはわかりません。
しかし今も続き、広がりを見せているとしたらすばらしいことです。

レベッカ・ソルニットという人がノンフィクション『災害ユートビア ―なぜその時特別な共同体が
立ち上がるのか』(高月園子訳 亜紀書房)という本の中で論じています。

一般的に災害時、人々はどちらかというと、パニックして自滅的な大騒ぎをするのではなく、
お互い助け合おうとする。

その中で、生きる意味と充足感を人々は見いだす。

ソルニットは今年の3月に来日し、東京外語大で講演しました。その内容は『atプラス』という雑誌の
12号に掲載されています。

ソルニットの言っていることは、あの震災当時、ある程度、実際に被災者達の中で現実に
起きたことです。

フェアトレード(人々を低賃金で搾取せずに商品を提供する)で有名なピープル・ツリーという
会社の人々が被災地を訪れインタビューした映像の中にまさに、そうした証言が入っているのを
目にしました:
http://www.peopletree.co.jp/special/tohoku/ (パート1の8分55秒から阿部忠義さんのお話

災害時、一番頼りになるのは市民の助け合いです。これが震災で学ぶべき重要な教訓です。

しかし、ただ単に、震災直後で終了しない、一時的では終わらないものを私たちは手にし始めているのかもしれません。

デモクラシーナウという市民の募金のみによって立つ報道団体を下に紹介しますが、この団体の
真摯な報道姿勢が9・11以後、評判を呼び、飛躍的に広まり、今も広がり続けています。
日本にも番組が翻訳され、そこで紹介された本が、日本でもベストセラーに仲間入りしたりするの
です。

市民としてお互い助け合う必要に人々が気づいてきているからだと思うのです。

またさらには、他でもない、私たち市民が立ち上がり、悲しみと嘆きの少ない世の中を
目指すしかない状態に、私たちはあるのではないか。

そう思う人々がいます。その通りだと私も思います。

どのようにしたら社会を世界を変えることを出来るのでしょう。

デモクラシーナウという企業スポンサーを取らず、市民の募金で成り立つ報道団体があります。

その日本支部は米国黒人公民権運動からフリーダムライダーズ運動を取り上げ、市民運動の
あるべき姿を探ろうとしています。

米国で黒人が差別されていた時代(経済的な差別は続いているようですが)、学生たちが
立ち上がり、差別を拒否しました。

白人用と非白人用に分かれずにバスに乗り、黒人が白人用席に座ることを禁じていた州に、
死の危険に直面しながら乗り込んでいったフリーダムライダーズからそうしたすべを学ぼうと、
当事者たちへのインタビュー映像とともに討論会を行います: 

「デモが世界を変えるとき~非暴力の抵抗とフリーダム・ライダーズ~」ニコ生×デモクラシー・ナウ! - ニコニコ生放送 http://live.nicovideo.jp/watch/lv101502757 (7月31日、20時から。事前の登録が必要です。登録すれば、8月31日までいつでも見られます。)

たった一つの命ですが、なかなか思うように生きられないかもしれません。

しかし聖書によれば、全生命の創造主、神が存在し、その救いを示した、イエスという方に
よってこそ、人間が本来あるべき助け合う姿に変えられるはずだというのです。

問題はこの神の存在を知っていながら、退けている人々、旧約聖書的にはそうしたイスラエル・
ユダヤ民族、新約時代以降にはそうしたキリスト教徒がいることだと聖書は告げています。

私たちに与えられた、たった一つの命。

本来どうあるべきかを導かれるイエスという方がいるというのが、聖書が教えることだと思うのです。

聖書はイエスが十字架で葬り去られた後復活したので人類には希望があると告げています。

よりよき社会を目指すあり方、これを実現するにはいろいろな方々と向き合い、聞き合う姿勢が大切なのだと思います。

教会もそうした場の一つであることが出来ると思うのです。